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2009年 09月 09日
「中国」のことを英語で「チャイナ(China)」と言いますが、ご存知の通りこれは「陶磁器」を意味するコトバでもあります。
その中国の陶磁器の中でも、素晴らしいと評価が高いのは『宋の時代』だと言われています。 【美しい青白磁の花瓶】 経済が非常に発展した時代であり、貿易も盛んで、外との交流が活発になるとともに文化的にも非常に発展したという時代だからこそでしょう。 ちょうど、現代の『経済発展』と似たような状況が、中国の宋時代(960~1276年)にもあったということです。 まぁ、先日も映画『三国志』が話題になったりと、同じ中国の歴代の王朝では、 ・始皇帝の「秦」 ・項羽と劉邦の「漢」 ・三国志の「魏呉蜀」 ・玄宗皇帝と楊貴妃の「唐」 など、有名なエピソードが伝わっている時代に比べれば、同じように世界史で学んだにも関わらず、宋時代は「北宋→南宋」へと時代によって区分されていることさえ、すっかり忘れられているほど“地味”な王朝です。 我が国は、明治維新以降、欧米列強に「追いつけ、追い越せ」で突っ走り、戦争に負けて「高度成長時代」によって、一気に世界でも類を見ないほどの早さで経済成長を遂げました。 確かに、こうやって敗戦国で何も無いような国から、世界でも「一等国」と見られるような国になったのは、国民として誇りを持つべきだというのは正しいと思います。 ただ、それを支えて来たベースには、「平和国家」としての日本。世界的にも希有な「平和憲法」を持つ日本国民ということによる「武力で争わない国民」だということが前提にあるのだと思います。 確かに「金持ちになった」とか「一等国」という意識そのものは否定しませんが、その意識ばかりが強くなって、自分たちよりも「貧しく見える国」を下に見るような考え方は、それは麻生総理の言う「さもしい国民」ではないでしょうか? ◎豊かさの基準 いろいろな「しあわせ指標」はありますが、例として一つご紹介します。 Happy Planet Index ttp://www.happyplanetindex.org/map.htm 【地球幸福度指数】 これを見ると、わが日本は「1poor」だということみたいです。 このように「幸福度の指標」はいろいろ発表されていますが、もう少しシンプルで、しかも私が「なるほどな〜」と思ったのが、 『子どもたちの笑顔』 が、多いかどうかというものです。・・・やはり、子どもの笑顔が多い社会は、GNPの順位とは関係なく「しあわせな社会」だと考えてよさそうです。 つまり、 「経済的に裕福な社会」 =/= 「子どもたちの笑顔がいっぱい」 なのは明らかです。 先日も、ランドセルを背負った子が、昼間、電車に一人で乗ってどこかに(多分、塾でしょう)に行っている姿を見ましたが、大人側の論理では「そうせざるを得ない」といくらでも言えるとしても、やはり子どもは子どもなりに、「通学」の時には「仲良しの××ちゃんと」とか、友達と道草をしながら帰宅するほうが、子どもにとっては『自然なこと』であり、『笑顔になれる』のではないでしょうか? 私たちの社会の一つの指標として「経済力」が最も重視されていますが、バブル崩壊とか金融危機などとが起きても、「安心して生きられる社会」を作ることが大事なのではないでしょうか? 要するに「子どもの笑顔」は、大人たちが「心配いらないよ」という安心感があるからこそであり、その大人が、「将来本当に、年金が貰えるのかな」などと、自分の心配をしなければならないような社会では、子どもにも(漠然とした不安感のようなものが)伝染してしまうでしょう。 小泉政権以来、急速に社会の歪みが目立ち始めたのも、ホリエモンのような人間をヒーローのように扱って、面白おかしく伝える反面、外国でボランティアで現地の人のために働いていた、「イラク人質事件」の高遠さんたちを『自己責任』とバッシングに導いた、当時の『指導層』の質の悪さだからでしょう。 ちょうど同じ時期に、やはり韓国でも「誘拐事件」が発生し、その家族が政府批判をしていた映像が流れましたが、あのほうが「個々の国民感情」の表れとしては正しいのであり、政府側が「責任逃れ」するのは勝手だけど、個々の国民が(マスコミやネットに乗せられて)同じ国民が誘拐された事を「自己責任」と見放す世論を盛り上げてしまうなんていうのは、当時から大きな違和感を覚えました。 私はこの「自己責任バッシング」の時、それに乗っかっている人たちは、以下のようなエピソードに『まんまと』乗っからせられた人と同じで、正直、浅はかな人だということです。 「国民性」と言ってしまえばそれまでですが、大衆が『暴徒化』した背景は、情報の断絶・混乱と、それに乗じて「違う目的」を持った者(当然、その立場の乱用)という条件がかさなればということです。 文章的には後になりますが、先に「動機」をご紹介しておきます。 ーーーーー 陸軍や憲兵隊の中には、この混乱に乗じて社会主義や自由主義の指導者を一掃しようとする動きがあり、大杉栄・伊藤野枝・大杉の6歳の甥橘宗一らが殺された甘粕事件(大杉事件)、労働運動の指導者であった平澤計七など13人が亀戸警察署で軍に銃殺され平澤は首を切り落とされた亀戸事件、在日中国人指導者の王希天などの殺害事件が起きた。 ーーーーー イラクの人質事件では「自衛隊撤退要求」という、当時の小泉政権では『絶対に飲めない要求』と考えていたために、「誘拐されたほうが悪い」という風に誘導したようですが、関東大震災のドサクサを利用して、治安当局が『思想弾圧』を行ったということです。 過剰に「世論のムード」が煽られている時には、間違いなくそれを「煽っている」のは、煽れる立場(つまり、権力側)だということだけは、常に頭に入れておくべきだと思います。 ウィキ:関東大震災「(民衆の暴動事件等)」 ttp://ja.wikipedia.org/wiki/関東大震災 ーーーーーーーーーーーー 通信・交通手段の途絶も加わって関東以外の地域では伝聞情報や新聞記者・ジャーナリストの現地取材による情報収集に頼らざるを得なくなり(ラジオ放送の実用化はこの直後、大正末期のことである ラジオ#日本初のラジオ放送)、新聞紙上では「東京(関東)全域が壊滅・水没」・「津波、赤城山麓にまで達する」・「政府首脳の全滅」・「伊豆諸島の大噴火による消滅」などと言った噂やデマが取り上げられた。その中には在日韓国・朝鮮人が「暴徒化[3]した」「井戸に毒を入れ、また放火して回っている」というものもあった。 このような状況のもと、大災害時に情報が遮断された中で朝鮮人の「井戸に毒を入れ、また放火して回っている」という噂を信じる日本人は多かった。 時の警視総監・赤池濃は「警察のみならず国家の全力を挙て、治安を維持」するために、「衛戌総督に出兵を要求すると同時に、警保局長に切言して」内務大臣・水野錬太郎に「戒厳令の発布を建言」した。これを受けて内務省警保局(局長後藤文夫)が各地方長官に向けて警報を打電した。その内容は次のとおりである。「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於て爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。既に東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に、各地に於て充分周密なる視察を加え、朝鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし」。また「行政戒厳」の形で戒厳令を発令した。 ーーーーーーーーーーーー 欧米では「自己責任バッシング」は、むしろ我が国の異様なムードを軽蔑的に伝えていたようですが、どうしてこういう事が起きるのでしょうか? 伝統的に、権力者が自分たちへの怒りの矛先を、より弱い立場への憎しみにすり替えるからだと思います。 高遠さんたちの直後に、二人の「ジャーナリスト」が、同様な目にあっても自己責任バッシングは起きませんでした。むしろバッシングに乗っかった人たちは、高遠さんたちが「無謀な若者」だと思いたかったからでしょう。(つまり、その次の人たちは「ジャーナリスト」だと伝えられたことが、バッシング出来なかったということ。) 関東大震災の時も、むしろ朝鮮人とか中国人とか、普段から蔑視していた人たちが「目ざわり」を排除しようという心理に、「陸軍や憲兵隊」のような人たちが乗っかり、さらに本来治安を安定させるべき「内務省警保局」が、まるで確定事実のように「朝鮮人が毒を入れた」「現に放火している」などと、パニックを煽るような情報を流して、市民の『不安感場』を煽っていたということです。 ちなみに、この「毒を入れた」というエピソードでは、『デマ』という事は広く知られていますが、「毒が入っていた」ような報告は無く、 >朝鮮人死亡231人・重軽傷43名、中国人3人、 >朝鮮人と誤解され殺害された日本人59名、重軽傷43名であった。 これらの人たちは、悪い事をしていないのに(デマによる暴力の)被害にあったということです。 西松事件での「小沢バッシング」選挙直前の「ノリピー騒動」、最近では「鳩山論文騒動」などを見れば、むしろ情報の混乱というよりも、マスコミ自身が「デマの拡散」や「偏った情報」によって国民を混乱させている片棒を担いでいるように見えてなりません。 ◎「歴史に学ぶ」 我が国の「豊かさの指標」が高く無い理由の一つは、「流されやすい国民性」ということですが、本来なら「助け合い」にも繋げられるはずで、これはむしろ『しあわせな社会』を築きやすいハズです。 ところが、「デマ騒動」に見られるように、簡単に『弱者バッシング』に向かうという諸刃の刃でもあります。ただ、以前は「良い面」も多くあったのに、権力者と情報提供者の恣意的なコントロールが露骨になってきたからこそ、ギスギスした社会という面ばかりが目立つようになってきたのでしょう。 本来は『リーダー』は、庶民の不安を和らげることに全力を傾けるべきところが、そういう人が我が国の“リーダー”として出てこずに、「小泉→安倍→福田→麻生(ああ、森という人もいた)」の10年が、急速に国が傾いたのも、過ぎたあとに改めて『人物評価』をすれば、明らかに「誤った選択」だったことは明らかです。 民主主義だろうと、君主制だろうと、「リーダーの質」が悪ければ、アッという間に国は傾くということであり、これは日本だろうと、中国であろうと関係ありません。 ところで冒頭に上げた「宋の時代」ですが、現在の我が国の状況と似ているということで、(経済や外交政策のうえで)参考になるのではないかと、以前から考えていました。 ttp://www.tabiken.com/history/doc/K/K246C200.HTM >宋は政治・軍事面では強勢ではなかったが、経済発展は比類ないもので、中国史上の画期をなした。また絵画・磁器など今なお世界の人びとの賛嘆する作品が多く生まれたのであった。 特に、これから政策を考える人などは『王安石の改革』は参考になるのではないでしょうか? (その後の歴史では悪評なのですが、逆に現代の中国ではその評価が逆転しているようです。) ・貨幣経済の発展 ・農業改革(新技術/開拓などによる、農業の飛躍的な発達) ・交通網の整備による、交易の活発化 ・「士大夫」と呼ばれる知識層の活躍 ・商業の発展により庶民文化も花開く ・印刷や羅針盤・火薬など「技術」の発展 ・イスラム商人を通して、ヨーロッパとの交流活発化 『鎖国』を除けば、まるで我が国の『江戸時代』かと間違えそうですが、要するに『軍事』ではなく、『国力』を高めることに力を注ぐということが、国を富ませることになるのは、「宋の時代→江戸時代→戦後の高度成長」など、国や時代を越えて実証されている『真理』だということです。 少なくとも、「まぐれで当たるかも」のような迎撃ミサイルの『開発費』として、膨大な(私たちの税金)お金をつぎ込むよりも、『民間の産業』の振興に使うとか、近隣諸国との『信頼関係』のための“親交”に役立てたほうが、将来の世代にとっても良いということです。 まぁ、せっかく『政権交代』を果たした新政権の人たちが、政策を考える際に何かの参考になればと思い、ご紹介しておきます。 最後に、「改革」によって、南宋がどういう社会になったのかを、ウィキの記述から・・・ ーーーーーーーーーー 孝宗は無駄な官吏の削減、当時乱発気味であった会子(紙幣)の引き締め、農村の体力回復、江南経済の活性化など様々な改革に取り組み、南宋は繁栄を謳歌した。 ーーーーーーーーーー
by mojo_on
| 2009-09-09 17:29
| 政権交代
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