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2011年 01月 11日
非常にシンプルな話なのですが、「正論」を言い続けることが大切です。
我が国でこれまで、どうして「冤罪」が多いのか? これは、ずっと指摘されてきたように「検察・裁判所の癒着」という構造が大きいのは間違いありません。 聞いた話では、検察官が裁判官を、一般の会社で例えれば「取引先の接待」のようなことをして裁判官のご機嫌をとり、正月には「つけ届け」というようなこともあると聞きます。 このように裁判官のご機嫌を取るのも、検察官の「能力」として評価される世界のようです。 ある事件を受け持つ検察官と法廷(裁判官)は、特別な事情が無ければ大体同じ顔ぶれになるそうで、一般に裁判の構図としては、 「裁判官ー検察官」 VS 「弁護側ー被告」 このような構図で争われるので、基本的に我が国の裁判の仕組みでは、弁護側のほうにキツい状態(ハードルが高い)のようです。 (この裁判官が変わる「特別な事情」とは、検察が「負けられない」世間の話題になった事件、著名人の関わるもの、あと、「それボク」のように裁判官が「無罪」を出しそうなケースなどです。) 小沢さんの裁判では、検察や法務省は「絶対に負けられない闘い」だとして、あらゆる手を使って「有罪」にしようとするでしょう。 むしろ本当に裁判所が「正義のみ」で判断するのであれば、事件の取り調べに「前田検事」が関わっていた事だけでも、事件そのものの捜査の「見直し」を指示するでしょうし、欧米なら当然そうなります。 でも、検察審査会の判断について、小沢さん側の不服申し立てを最高裁までが却下したところからみても、何やら裁判所そのものが検察に「押し切られ」ているような構図が透けて見えてきます。 植草氏の一連の裁判を見ていて、私が少し引っかかったのが、「植草はチカンに間違いない」という理由で有罪だと決めつけている「アンチ」が、時々ヘンなことを強調していたことです。それは、 「裁判所もグルなんだから、擁護なんかしても無駄」 本来、このようなアンチが本気で「植草がやった」と信じて、私たちのような擁護・検証している者が目障りだというのであれば、絶対に「裁判所もグル」などとは書き込まないでしょう。・・アンチのコメントそのものが、裁判所の誹謗につながるのだから。 当時、アンチの思惑を推し量ってみたのは、「この事件は冤罪だ」と考える私たちに、アンチが 「(真相は冤罪でも)有罪になるのは既定路線。それが世の中というものだ。」 という印象を私たちに植えつけるのが目的のように映りました。 この植草氏の裁判で、一審判決が出たあとアンチが最も攻撃していたのが熊八さんでした。 ttp://livealot.exblog.jp/ その熊八さんはこの時、「裁判所の判断」を強く批判していました。 要するに「合理的にみておかしな判決」が納得できないと・・・ このように、ある事件が起きて、しかも冤罪の可能性がある。 その被告を有罪にしたい側(検察・アンチなど)は、まず、マスコミで「印象操作」を大々的に行うとどうじに、影響力のある「反論者」を潰す。=植草氏なら「応援ブログ」など 次に、冤罪だと言い続ける人間の活動を妨害したり、ネットで「キ×ガイ擁護」のような印象をつけようとする。 その次にやるのが、今回のテーマである「不合理な判決が出るのは間違いない」と、支援者の心に植え付ける手法です。これは 『厭戦ムード』 を、冤罪だと考える人たちの心に植え付けて、「どうせ支援活動をやっても無駄だ」と思わせられれば、完全に「相手側の思うつぼ」です。 こうなってしまうと、それこそ、裁判所も安心して「有罪判決」を下すことができることになります。 小沢さん関係の公判がはじまれば、ネットでも「どうせ結論は決まっている」という書き込みが増えるのは間違いありません。でもその多くが、むしろ「反小沢陣営」の思惑からかもしれないのです。 だから、このムードが大きくなるというのは、それが逆に「不当な有罪判決」を誘発することにつながるのだということを思い出してほしいと思います。 私たちが忘れてはならないのは、「真相」は何なのか? それを、裁判という「公開の場」でキチンと正しい判断がなされたのかどうか? つまり、裁判所の判断を『監視』することが大事なのです。 始まる前から「裁判所もグル」というのは、植草氏の裁判でアンチが使った手法を見た私としては、その「思惑」もよく分かります。 残念ながら、植草氏の裁判ではおかしな判決が確定してしまいましたが、継続して検証を続けたおかげで、この事件が「冤罪」だと思う人たちも減らず、判決のほうがおかしいと感じている人が多いようです。 植草氏の裁判などは、マスコミは「科捜研の女」のあとは、ほとんど報じなくなってしまいましたが、小沢さんの場合、そうは行かないのは間違いありません。 大久保さんの裁判でダミーじゃなく「実態があった」という証言が出たとたん、一気に検察が苦しくなって「訴因変更」せざるを得なくなりました。 たぶん、公判が始まってすぐに、小沢さんの裁判でも同様のことが起きると思われます。 今、ネットで(反小沢とかマスコミの論調も)裁判が始まれば2年や3年は続くというのも、これも「厭戦気分」に誘導させようという意図が彼らにあることを裏付けています。 つまり、みんなが「小沢一郎は無罪になりそう」だということを知っていて、反小沢の人間は、小沢さんの「社会的な失脚」こそが目的で、それに裁判所が加担してくれることを願っているのでしょう。 私たちまでが「裁判所はグル」だというムードを作ってしまうのは、逆効果になってしまいます。 では、私たちのような、小沢さんをめぐる特捜部やマスコミの煽る「政治とカネ」問題に疑問を抱く人間はどのように振る舞ったら良いのでしょうか? その答えの参考になりそうなのが、上記の「熊八さんのスタンス」のように『正論』を主張するのが最も良い(相手側にとっては、最もやっかい)だと思います。 つまり、 「事実関係はコレコレ」 「それが犯罪に当たるのかどうか」 そして 「裁判所は、正しく判断をしているのか」 要するに、おかしな判決を下しづらいムードをつくることです。まだ、裁判そのものも始まっていないのですから。 裁判官も人の子です。 「どうせ、疑っているんだろう」 と思えば、「利害」を優先させて、普段から「つけ届け」をしたり、悲しいくらい「へりくだる」検察官の方を見てしまうのも人情です。 でも、 「裁判所は『法の番人』だから、正しい判断を下してくれるハズ」 このように、市民の信頼を受けていると思えば、裁判官も本来の役目を果たしてくれるでしょう。 批判は「不当な判決」が間違って出た時にこそ、私たちが「大騒ぎ」すればいいのです。
by mojo_on
| 2011-01-11 09:38
| 司法問題
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