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2011年 03月 17日
まず、今回の災害に関して、被災者へのお見舞い、および、救助にあたっている方々と支援を表明して下さった国際社会への感謝を申し上げます。
衆議院議員の服部良一さんのサイトで、「福島第一原子力発電所等の事故概況」という情報を公開されていますので、リンクを張っておきます。(順次更新されています。) 「服部良一の国会奮闘記」 福島第一原子力発電所等の事故概況 先日、久しぶりに鎌倉に行きました。 まぁ、鎌倉に行けば、多くの人が、必ず「鶴岡八幡宮」にお参りをすると思います。 いつもなら、参道を往復し、そのあと小町通りのにぎわいを楽しみながら、「ここは、いつも人が多いね」なんて言いながらお茶したり、お豆や漬け物屋さんの試食をしたりして、一日のんびり過ごして帰ります。 天気が良かったこともあり、この日は珍しく、参道から逸れて八幡宮の中を歩くことにしました。 何度も来たことがあるのに、全く知らなかったのですが、ひっそりとというか、池の前に「さざれ石」というのがありました。 【さざれ石】 「これが、君が代の『さざれ石』なのか」 なんか、少し神々しい印象を受けました。 思わず、手を合わせてお参りをしてしまいました。 ↑ これが「日本人らしさ」なのかもしれません(笑) ※ちなみに、「さざれ石」を祭ってある神社は、けっこうあるようです。 ところで、この石の横に、説明の板が設置されているのですが、 【看板の説明文】 ===== この石は国歌「君が代」に 「さざれ石の巌となりて」と 詠まれている「さざれ石」です。 石灰岩が雨水で溶解された 乳状液が小岩を凝結して「君が代」に 詠われているように大きくなって岩に 成長したものです。 学名を石灰質角礫岩と■ます。 昭和三十六年岐阜県春日町で 小林宗一氏により発見され五十三年岐阜 県の天然記念物に指定されました。 この石は発見者の御子息小林文治氏 により昭和五十六年に当八幡宮に奉納 されました。 ===== 要するに「さざれ石」というのは、 ーーーーー さざれ石(細石、さざれいし)は、もともと小さな石の意味であるが、長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウム(CaCO3)や水酸化鉄が埋めることによって、1つの大きな岩の塊に変化したものも指す。学術的には「石灰質角礫岩」などとよばれる。石灰岩が雨水で溶解して生じた、粘着力の強い乳状液が少しずつ小石を凝結していき、石灰質の作用によってコンクリート状に固まってできる。 日本では揖斐郡滋賀県・岐阜県境の伊吹山が主要産地である。 ーーーーー 確かに、この八幡宮の「さざれ石」も、砂利のような細かい石をいっぱい固めたような「固まり」で、一つの大きな「岩」ではなく、細かい石の「集合体」と言ったほうが良いみたいです。 【さざれ石の巌】 「千代に八千代に」 「さざれ石の巌となりて」 この文章は、細かい石が大きな「さざれ石の巌」となるほどに、非常に長い年月を比喩しているのでしょう。 そして最後の 「苔のむすまで」 とつなげると、ニュアンス的には、未来永劫「永遠に続くように」という願いが込められているように感じます。 そういえば、今回の大災害で、「ボランティア担当補佐官」に任命された辻本清美氏が、阪神大震災で >「自衛隊は違憲です。自衛隊から食料を受け取らないでください。」 このようなビラを配っていたというような話が、ネットで話題になっています。 私などは、市民生活の向上を望む立場なので、どちらかというと「護憲派」ということになるのですが、自衛隊については、以前書いたように、 「『平和憲法』下での、天皇陛下とは?(その1)」 ttp://koufu.exblog.jp/11571671/ ーーーーー もう一つ、私が07年の地震のときに改めて感じたのは『自衛隊』のことです。この地震が起きた際、偶然「被災地に向かう自衛隊」を目にしました。 私は「一刻も早く到着してほしい」と思うとともに、この時に「自衛隊」に対しての『存在意義』を感じました。 (略) 「災害」というのは「国内問題」です。 「天皇の慰問」によって、被災者や広くは国民が『心の支え』を持ち、「自衛隊の災害派遣」によって、緊急の生活支援が行われる。 少なくとも、現在の「平和憲法」で議論される、天皇制や自衛隊も、このような『国民のため』になっている範囲であれば、私は決して否定的な考えを持つこともないし、これが多くの日本国民の気持ちだと思います。 ーーーーー どちらかというと、「(象徴)天皇制」も「(災害派遣中心の)自衛隊」も、現在の日本社会では、あえて無くさなければならないような話だとは思いません。・・・イラク派遣など「国際紛争の解決」のための手段としてには、明確に反対しますが。 多分、多くの日本国民は、おおかた私の意見と同じではないかと思います。 残念なことに、我が国には「国旗・国歌問題」があり、これは「悲惨な戦争」との関連で論じられています。 私は、自衛隊問題を含めて、これらの問題がいつまでも解決しないのは 「ボタンのかけ違い」 だと思います。 自衛隊を「災害復旧」の時の活躍を考えれば、むしろ有り難いと被災者の多くが感じるでしょうから、そういう活動の面では「国民の役に立っている」のは明らかです。 辻本氏ではないけど、何でも「違憲・違憲」という人たちに言わせれば、「君が代」の『ナニ』が問題かというと、 「君が代」の「君」が天皇を指す ↓ 「天皇礼賛の歌」=「戦争肯定」 というのが、唯一の根拠のようです。 ところが、これが正しいのかというと・・・ 「三つの君が代」 ttp://www.ongen-music.com/kimigayo/kaisetu.html ーーーーー 「君が代」の初見は『古今和歌集』といわれている。 我が君は千世にやちよにさゝれ石のいはほと成て苔のむすまて 首句が「我が君」となっているが、神事や佛会などで歌われるようになった鎌倉時代に「君が代」という語句に移行しはじめ、室町時代に入って「君が代」に定着したといわれている。 「君が代」の「君」が、天皇を指すものかどうかについては、さまざまな説がある。『古今和歌集』の解説を見ても「《君》はその歌を贈る相手。賀の歌ではしばしば用いられるが、天皇をさすとは限らない」(「新編日本古典文学全集」小学館1994年)、「《きみ》は広く用いられることばであって、天皇をさすとは限らない」(「日本古典文学大系」岩波書店1958年)とするものと、「《君》は一般に敬愛する人をいうが、この賀部では天皇を中心とする皇統について言う」(「新日本古典文学大系」岩波書店1989年)とするものがあって、それぞれ異なる解釈を示している。 名著『君が代の歴史』を書いた山田孝雄(やまだよしお)は、「君」は、その祝賀を受ける人を指したものであって天皇を示したものではないとはっきりと記し、実証として「君が代」と同じ『古今和歌集』の賀部にある光孝天皇が僧正遍昭に贈った御製を挙げている。 かくしつゝとにも角にもなからえて君かやちよに逢うよしもがな この歌の中の「君」が長寿を祈願された「遍昭」を指し、決して天皇自身や皇族を指したものでないことは明らかである。 ーーーーー もしも「君」ではなく「大君」となっていれば、これは明らかに天皇を指すと解釈しても良いのでしょうが、むしろ従来からの使われ方から見ると、この歌を『贈る相手』としての一般的な言葉と解釈するほうが良さそうです。 むしろ「あなた」というようなニュアンスだと捉えれば、さらに深い意味のあるメッセージとも解釈することができます。 私は、「君が代」を天皇礼賛の内容だからケシカランという人たちは、むしろ「君=天皇」と思いたい、いわゆる右寄りの人たちと同じ解釈をして、一方は「万歳」といい、もう一方は「けしからん」と、同じ(低い)土俵で言い争っているような印象を受けます。 ここからは、多少、学術的には異論はあるかもしれませんが、この「君が代」を、私なりに「次世代へのメッセージ」として、改めて「君が代」を、私たち日本人の『国歌』としてふさわしい内容に解釈してみたいと思います。 私たち人間は、過ちも起こせば他人に迷惑をかけることもあります。 過去の戦争もそうですし、今回に限らず、大きな災害が起きたときにも、愚かな判断や責任転嫁によって、被害が拡大してしまうようなことが、毎回繰り替えされています。 「『天災は人災』・・・すぐれたリーダーと凡庸な人との違い」 ttp://koufu.exblog.jp/10827185/ その一方で、被災した方たちを、我が事のように心配し励まそうとする国民、また現場で自身の危険もかえりみず、災害救助に従事する人たちの努力によって、不安な被災者の人たちがどれほど元気づけられているか。 「禍福はあざなえる縄のごとし」 ではありませんが、このような大災害が起きたときに、私たちは「人間っていいな」と思えるのだし、世界中の人たちが支援をしてくれると言ってくれることからも、私たちには「多くの友人がいる」と実感ができるのです。 戦争の反省として、「平和憲法」を作り、「君が代」を国歌とする。 起きたことに対しては、その後「どうする」と、内外に約束することしか出来ないからです。 今回「放射能汚染」の対応の遅れにより、また世界に迷惑をかけるこになるでしょう。 私たちは、この反省を、厳しい条件づけで「原子力の平和利用」を続けるのか、「原子力の放棄」のどちらかを選択せざるを得なくなるでしょう。 少なくとも「地震大国」での平和利用というのは、もう不可能じゃないかと(個人的には)思いますが・・・ 多分、戦争の反省として「平和憲法」を作れたのも、もともと「さざれ石の巌となりて」という『和』の精神が、日本文化のベースにあるからだと思います。 そして「君が代」が指している相手は、単に我が国の国民だけに限定しているのではないのだと思います。 私は、日本人として生まれたことを、誇りに思っています。 * * * * * * * * * * * * * * * そうそう、鎌倉の鶴岡八幡宮といえば、ちょうど一年ほど前、「大いちょう」が倒れて、テレビなどでも大きく取り上げられました。 (2010年3月10日だから、偶然にも今回の大地震のほぼ一年前ということで、根拠はなくても、何か因果がありそうな気がしてきます。) 今は冬なので、緑が無くて枯れているようにも見えますが、半年前の夏には、葉も青々として、切られた幹も植え替えられたほうも元気でした。 私は、本当に大いちょうのたくましい「生命力」を感じました。 この「大いちょう」のように、被災者の方たちもたくましく、一日も早く復興できることを信じています。
by mojo_on
| 2011-03-17 12:14
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