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2011年 09月 26日
今日、石川さんたちの判決が出ました。
意外と言う人、想定内だと言う人、それぞれですが、私は調書の不採用などにより、ある程度の「常識的」な判断が下される可能性が高いと思っていましたが、三人とも「有罪、執行猶予」ということで、「裁判官も変わってないなぁ」というのが正直なところです。 (まぁ、登石裁判長の過去を見ると「保守(守旧)的」なのは一目瞭然なのですが、調書不採用などで見られたような「捜査批判」的なニュアンスは、判決には全く反映されなかったようです。) マスコミは、これも想定通りというか「有罪」を声高に騒いでいますが、たぶん近日中にに「判決要旨」の情報が出てくると思いますので、それと「報道の乖離」とが、私たちにとっての格好のネタになるでしょう(笑) 一言で有罪とは言っても、裁判で争われたのが「期ズレ」が悪いかどうかということで、「間違った記載をしたことが有罪」かどうかの問題であり、検察に弱みを握られた(?)たった一人の「紙袋に5千万」とか証言した人間などを登場させても、そもそもの「起訴内容」とは無関係な内容だったということなどは、ずっと国民には「検察の疑惑」として残ることになるでしょう。(朝日によれば、一億円の授受を認めたと説明していましたので、これは別に裁判官による起訴内容の逸脱として批判される要素になりそうです。) ところで、植草氏の事件もそうですが、大手マスコミが風評を一方的にタレ流すとか、植草氏なら「目撃者T氏や、青木巡査の証言」や、睦山会裁判の場合なら「川村尚水谷建設元社長」のように、いわゆる「背景のある冤罪事件」の疑いが高い裁判では、検察側の主張を補強するために「ウソの証言者」だと、被告側から指摘される証人を法廷に呼んで、証言させるケースが多く見られます。裁判官は疑問に思わなくても、その「証言」には常識的に見ると、かなり不自然な要素が含まれる。無理している証拠でしょう。 (こういう現象の有無も、私は「冤罪かどうか」を疑うポイントの一つにしていますが、この特徴が見られる多くのケースで「冤罪説」が消えない共通項でもあります。) 石川さんは、2−3日前のメルマガで >『証人尋問で、水谷建設社長なる「川村某」を生で見たときは肩の震えが止まらなかった。自分に濡れ衣を着せた張本人が目の前にいる。仮に日本が法治国家でなかったなら、その場で頭をぶったたいていただろう。』 植草氏も、目撃者という「T氏」の証言した公判のあと、しばらくは >あの“T中”、“T中”がデタラメばっかり言っている。 と、普段は温厚な植草氏なのに、とても感情的になっていたのが印象的(つまり、それだけ“T中”の証言に怒りを感じていた)ということでした。 植草氏の(T証言のあとの)反応は、そのT氏の証言している姿を思い出しては「怒りに震える」という感じだったということで、一般的に、もしも心当たりがあって「痴漢を見られた」人間が、その時、本当に目撃した人間から「事実」を証言されたケースなら、反応は全く逆になります。その証言に動揺するとともに、周りから見て「おどおど」したり「無口」になったり、時間とともに弁解的な言動をします。植草氏や石川氏のように「怒りに震える」という反応は、見ず知らずの人間がウソをつく理由が理解できないことから、証言者が自分を「陥れるため」に証言(=当然、ウソをついている)するのは、何か悪意があるからだということからくる自然な反応だと思います。 少なくとも、植草氏は周囲の支援者が速記録とかを見る前から、公判直後から「怒りに震えていた」ことからも、痴漢事件の真相が、検察が最初に登場させた「目撃者T氏」の証言とは全く違うことではないのかということを推測させます。 (仮に、私たちが「T証言の検証」の議論を通して「被害者との位置がおかしい」とか「前日の出頭を隠していた」とか「植草氏の体の向こうの右肩が見えた」など、おかしな部分が明らかになってから、植草氏が「乗っかってきた」のであれば、どうもおかしいなぁ?となるのですが、支援者がどうとかとは無関係に直後から怒っていたのは、そのT氏の証言には「ウソが多い」というのは確かでしょう。) (参考資料) 以下、植草氏の弁護側の主張が出ていますので、興味のある方はご参考に ttp://benjaminfulford.com/Uekusasan3.html 確かに、我が国では改めて「無罪」を勝ち取ることが難しいということだけはハッキリしました。 個人的には、過去の冤罪事件を見てきた経験から「一審無罪」が、高裁で「逆転有罪」というケースはゴロゴロしているのですが、その逆(有罪から無罪)は、あまり聞きません。 一審有罪でひっくり返ったといえば「三浦和義氏」が思い浮かびますが、この人はその後「カツラ姿の万引き」に巻き込まれたり、海を越えて一事不再理の原則まで飛び越えて、ロスアンゼルスで殺され・・・失礼、亡くなりました。 (こんなことばかり続くようでは)誰それのメンツを潰したヤツとか、アイツを挙げれば将来安泰とか、案外、国を動かすような「特捜案件」も、幼稚な動機が始まりという風に将来言われるようにならなければいいがなぁと、他人事ながら心配になってしまいます。 特に、東京では「出世組」が多いせいか地裁レベルから「ヒラメ」的な判断が多いと言われています。まぁ、こういうのも司法改革で正していく必要はあるでしょう。 ところで実際の裁判の裏側では、一審で有罪判決が出た事件ほど、検察側からの「控訴するな」という圧力がかなりかかると言われています。 中には、植草氏の裁判官など、過去に法廷で「控訴は大変だぞ」と、被告の権利であるハズの上訴する権利を放棄しろと被告を諭したというという体験談なども偶然見かけたことがありますが、これは裁判官としては、控訴されると(逆転した場合?)経歴にキズが付くことを嫌がってということなのでしょうか? 石川さんも控訴するとのことですが、是非「徹底的に争う」ことが、石川さんを始め関係者が「死中に活を求める」最善の策だと言えます。 多分、すでに石川さんの周辺では「どうぜムダだから」と、一審確定を誘う人が出ていると思います。 >>絶対に、「損得」を説く人間の話は聞くな!!! これが、私の石川さんへの唯一のメッセージです。 実は、植草氏の裁判(蒲田事件)でも、似たようなシチュエーションがあったことを思い出します。 一審判決を受けて、一時、植草氏が「弱音」を吐いた時期がありました。検察などの「税金食い」と被告の違いは、起訴する側は「税金という他人の金」ですが、被告側は訴訟費用も自腹です。まず、そういう経済的な部分で弱者であり、さらに勾留されるなど、捜査側の都合で物理的な自由も奪われる・・・ 近代の司法が「推定無罪」など、権力側に厳しく立証責任を負わせるのは、そうでないとフェアじゃないからだということです。 残念ながら、我が国では「起訴されたら有罪」であるかのようなムードが広がることで、この弱者を助けるどころか「池に落ちた犬」のように一緒になって叩く風潮からは、どうも「ムラ社会」に形だけ「民主主義」とか「人権」とかを乗っけただけのようなカンジです。 植草氏も、一審判決後一時的に弱気になったのは、これだけ検察の主張に「不思議な点・おかしな証言」が多いにもかかわらず、裁判官は検察の主張通りの判決を出す。このことに、この後争っても無駄だという気持ちになっても不思議ではありません。 ただ、私などは、一審有罪で控訴しなかった「品川事件」の「その後」の経験から、植草氏もきっと「徹底的に争う」という考えになるだろうとは予想していたし、「途中で止めることは、敵の思う壺だ」と植草氏が理解するだろうと信じていました。 当時、植草氏の中傷書き込みを続けていたアンチの特徴として「裁判の結果がすべて」と、彼らは信じて疑っていないようでした。 果たして、そうでしょうか? 私は、多くの冤罪事件が発生し、多くの人が無実の罪で何十年も自由を奪われたり、場合によっては命を落とされています。これは、国家による無実の人間に対する「殺人」であり、国家としては決して一例でもあってはならないことなのです。にもかかわらず、三審制という「ミス回避」の制度をスリ抜けて、一審で有罪の人間はそのまま有罪になることがほとんどです。・・・中には、「死に神大臣」発言のように「判決が確定したら、エスカレーターのように自動的に処刑する」ような発言をする政治家までいます。 免田栄さんの『免田栄獄中ノート』では、 >「獄中34年の間に、約70人の死刑の執行を見送り、そのうち5人は確実に無実であり、また判決に事実誤認がなければ死刑にならなかったと思われる人が20人はいた」 という体験とともに、「俺はだめだけど、頑張ってくれ」と手を握ってくれた人のエピソードを以前語っていました。死刑が確定しても、「それでも、自分はやっていない」と主張し続けることは、並大抵の精神力では無いし、それは「損得勘定を超えた」姿として、多くの人に真実の声が伝わってきます。 もしも、植草氏が蒲田事件でも一審有罪で控訴・上告をしなかったなら、例えば、今の書籍やブログなどでの主張に耳を傾ける人は、かなり少なくなっていたと思います。 確か、ネットのアンチは植草氏が控訴や上告をするとともに、(オモシロがっているだけとは思えない)感情的な書き込みをしていた記憶があります。つまり、彼らは「無罪主張」を続けられることが、不愉快だったのでしょう(笑) 冤罪だと「最後まで闘った人」・・・例えば、鈴木宗男氏や植草氏は、自民党政権の凋落と反比例して世間の評価が上がっています。 小沢さんも、自分の周囲の「秘書」たちが逮捕された際、「ごめんなさい」ではなく、「犯罪性は無い」と言って「官憲側の言いがかり」として、当初から戦う姿を私たち国民に見せています。 私たち日本人は、小沢さんのように「本当の闘い」でも、逆に小泉元首相のように「お芝居」でも、「圧力に屈しない」姿には応援したくなる本能があるようです。 逆に見てみれば明らかですが、この睦山関連の裁判を「したくない人」というのが誰なのかというのを考えてみます。 今回の「有罪」というのも、特捜部が徹底的に調べた結果が「期ズレ」がどうのこうの・・・ 今や、大久保さんが逮捕された「西松事件」と、その翌年の「睦山事件」が無関係だと思う人は、まず存在しないと思いますが、特捜部が動いた直後、大手メディアによる「小沢は責任を取れ」というヒステリックなキャンペーンの異様さには、政治に関心の薄い層までが「何だコリャ?」と違和感を感じたようです。 特捜部・メディアとも、「裁判で決着」などは望んでなく、すぐに騒動の責任を取って「辞任」となるパターンを望んでいます。 (「既得権勢力」が政治家を失脚させる手法として、スキャンダルを大手メディアが大騒ぎして辞任圧力のパターンだというのを、広く知らせるのには役だったと言えます。) 例えば、後に役所の手落ち(=ワザと)で年金未納騒動で辞任してお遍路に出た菅直人。 「フロント企業」を隠し、「焼肉屋の女性」からの献金を「外国人から」と矮小化して辞任した前原氏。 よく、「辞任=ケジメ」のように甘言を言う人が多いけど、前原氏のように「さっさと辞めた」場合には、世間は「もっと悪いことを隠している・・・に違いない」というグレーさを印象付ける結果にしかなりません。 植草氏も、品川事件では「おかしな点も多いけど、有罪は有罪」とずっと言われ続ける“スキ”を作ってしまいました。 よく、「この二つの事件(蒲田と品川)は無関係ではない」と言われましたが、確かに、植草氏に「痴漢の印象」を付けるには、「前回、有罪判決が確定」というのは、「さらにもう一度」と、同種の事件のほうが都合が良いし、植草氏を陥れたい人たちにとっては裁判で有罪を引き出すのも、かなり容易だという風に考えるのは当然です。 つまり、植草氏を社会的に葬りたい勢力にとって「痴漢事件のでっち上げ」というのは、品川の有罪が一審のみで確定したことで、似たような事件に巻き込まれれば、さらに「再犯を繰り返した」という話にするのも手っ取り早いということです。 もしも蒲田事件でも、植草氏が「心が折れて」一審の有罪判決で控訴していなかったら、支援者が離れていたのは間違いないでしょう。 噂では、小沢さんが特捜部の聴取を受ける前後、検察との「落とし所」を打診されたということを聞きましたが、それを蹴った小沢さんや石川さんたちは、裁判でも「イバラの道」を歩くことを覚悟してのことでしょう。 でも、「打算的な選択」と「徹底的に争う」ことでは、拓けてくる道が全く違います。 植草氏の裁判では、最高裁で上告棄却された時、むしろ「かわいそう」という声が意外な人たちから聞かれて、あまり「やっぱりネ」という話にはなりませんでした。 疑われた人間が「それでも無実だ」というのは、最後まで主張し続けることで初めて完成する(他人も耳を傾けてくれる)ことを実感しました。 自分の不都合な話が出たら、尻尾を巻く菅氏や前原氏などの評価が下がるのは当然だとして、その反対に、無罪を主張し続けている人間が「有罪確定」した時には、世間は意外に同情的な感情を抱くのは、日本人特有のものなのかもしれません。 どうしても既得権勢力というのは「アメリカン」な感覚で物事を判断しがちなので、損得勘定が優先しますが、庶民からは強大な敵と戦っている人間に、どうしても判官びいきになりがちだということです。 原発事故以来、大手マスコミの偏向報道が批判されているので、今回の石川さんたちの判決を「小沢不利」を強調しすぎると、むしろ国民は逆の反応を示すことが考えられるので、以前のようなヒステリックなバッシングは出来ないでしょう。 (まぁ、小沢さんに「説明責任」を言うくらいが関の山ですが、これも本人が無関係ならまだしも、「強制起訴」によって、世間に話すよりも重い「公判で明らかになる」ということで、メディアの餌食にならなくしてしまったのは薮蛇?) いずれにしても、本当の権力(既得権勢力)と、その実行部隊である検察。そして広報部隊の大手マスコミからの攻撃に屈せず、強大な敵と戦う姿は、世間の目は意外に優しく働くということと、その「同情」というのが、大手マスコミが批判的に伝えるほどに「合わせ鏡」のように、関心をもたれることとイコールとなり、そのことが政治家としては「得難いエネルギー」を小沢さんたちに与えつづけることになります。 三年前の「西松事件」が、むしろ政権交代に有利に働いたとか、石川さんへの特捜部の捜査が、逆に知名度を上げて、中川昭一氏の落選につながったと言われるように、政治にはスキャンダルが良くも悪くも作用するということです。 「スキャンダルですぐに辞める」人は、求心力が落ちる。 「事実無根」として、徹底的に戦えば、支援の輪が広がる。 小沢さんの周辺は、このような「世間知」も武器になることを知っているからこそ、裁判で「徹底的に闘う」という方針なのだと思います。 ちなみに、「世間知」とは「学校では教えてくれない種類の常識を指す(新明解)」ということで、「学校での成績」だけで生きている官僚系には理解できないことが多いのではないでしょうか(笑)
by mojo_on
| 2011-09-26 18:18
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