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2007年 03月 05日
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コメント、ありがとうございます。 *************** ※昨夜、「北風太郎」さんという方から、批判的な立場としてですが、とても考えさせられるご意見を拝見しました。投稿された方も、非常に真剣に考えられている意見だと感じましたので<追記>として、転載しておきます。(アンチとか、擁護派とか関係無く、いろいろな意見の主張を『表現する場』が大切だと、私は思います) 個別のお話は、平行線ですので、私は遠慮させていただいてますが、こうして少なくとも私のブログにコメントされていらっしゃる人に、私の考えを見ていただけると思い、言わせていただきます。 犯罪が起きて、だれかが犯人として逮捕された。 これは日々、数えきれないほど起きています。もちろん大部分は警察の捜査の甲斐があり、犯人も逃れ用のない証拠をつきつけられて『自白をする』そして、それ相応の刑が決まったら、服する。私は、これは全く問題無いし、逆に「ルールを守る」という社会の基本的な合意が崩れることが最も危険だと思います。 もう一方で、深刻なテーマとして『冤罪』というものがあります。これも、上記とは別に、常に頭に入れておかなければならない事だと思います。 植草さんの事件に限れば、例えばあなたたちが、植草さんが犯人と考える根拠として、この事件に限っても ★「被害者、逮捕者」が植草さんだと言っている。 ★「どうやら、目撃者もいて、その人も植草さんと言っている」 これは、私も承知しています。そして、仮に裁判が始まっても植草さんが「これは、全てわたしがやった事だと認めます。」そうおっしゃっていれば、私は(個人的には疑問を持っても)それ以上コメントはしないでしょう。 次に、上記「★印」は、誰が言っているのでしょう? ほとんどはマスコミ情報でしょう。私もそうです。そして、このネットの中で、彼ら証人の証言を『直接聞いた』という人は、当事者・関係者を除けばゼロだと思います。つまり「間接情報のみの場合、事実が偏る」可能性があることは、みんな分かると思います。 実際、マスコミは面白おかしく「科捜研の女が追いつめた」とか、「下着がカギ」と、おもしろおかしく伝えるものがほとんど。植草さんの言い分を伝える報道は、ゼロとは言わないが、ほとんど「一行レベル」です。 私は被告側が「私はやっていない」と言っている声を、無視していいとは決して思いません。 少なくとも、マスコミ・司法という“権力をもつ側”が、個人が罪に問われると、その被告の無罪の主張とでは、あまりに世間の影響力としては、差があり過ぎます。でも、被告の主張はできる限り広く知ってもらう『権利』はあるハズです。たとえ、それが犯罪者であろうと、前科があろうと、無かろうと。 警察沙汰になった事のあるヤツは、別の事件の時に「無罪を主張してはならない」なんて、私は、この国がそんな風潮になるのは困ります。 マスコミを通して、「犯人同様」の扱いをされている場合、私たち個人は、(無実の可能性があると考える人は)それぞれ力を合わせて「声なき声」を大きくしていく必要があると思います。同時に、私はその「無罪の主張」が消されないように守る必要もあると考えます。 それに、裁判は3回あるのだから、その間はずっと「被告は無罪を主張している限り、それを信じます」というスタンスは続けて行くつもりです。 (これが宗教だとしたら、私は『多神教』になってしまいますね) いずれにしても、今のこの状態。どうも、「政権批判」とリンクしているように世間は見ているようですが、それこそ、ネットの『言論弾圧』と見えるでしょう。 批判する人たちは、あえて「けしからん」と言う必要も無いと考えます。なぜなら『マスコミ・警察・検察』などの権力の言いなりでいいのですから。ただ、このネットの現状を見ると、高校時代にあまり教えてくれない、戦前の『特高の恐怖』や『ナチスの独裁』前夜のようです。←教科書では教えないけど、そういう歴史の知識くらいはある。 そうそう、いい加減な証拠の捏造による、露骨な『冤罪事件』が増えるというのも共通しています・・・・(おお、コワッ) 笑いたい方は、どうぞご自由に。私は、真剣ですが・・ **************************** <追記>批判的ですが、大事な意見だと思います。 多くの、「アンチのコメント」の中に埋もれさせるのには勿体ないと思います。 自分自身の行動を振り返る意味でも、抜き出しておきたいと思います。 (以下、投稿時間の部分は、削除しました) >>>by 北風太郎 at 2007-04-08 22:05 Mojoさんこんにちは。私は物証の少ない痴漢事件を裁判官がどう判断すのか興味があってこの裁判を観察してる者です。植草氏の無罪を主張するわけでもなく、被害者の女性を応援するわけでもなく、中立な立場に居るつもりです。人それぞれの立場・感情があり、物証の少ない事件ですから、容疑者を応援するのもけっこうな事だと思います。検察がいれば弁護人もいるわけで社会的にみてもおかしな事ではありません。しかしちょと行き過ぎだと思うことが多いので、コメントさせて頂きます。 その① 判決の重みを考えて欲しい 幼稚な仮説が多い。 価値観は人それぞれだし何を書こうと人の自由だとも言えるが、裁判を軽んじている感は否めない。Yuutama氏ブログ3月23日のコメントに 「それは・・さっきの、あなたの答えと矛盾するのでは」なんて感じかなと。ドラマでは(笑) とある。ドラマ?(笑)?ふざけてはいけない。 判決には植草氏の生活(収入)と一生(の社会的信用)がかかっている。無罪判決がでれば御家族は両手を振って外を歩けるし前の判決にも疑問が生まれてくる。実刑判決でもでたらその影響ははかり知れない。 植草氏には御子息がいらっしゃるという噂も聞いた。 幼稚な仮説を繰り返すのはただの自己満足で、応援とは程遠い。 その② 目撃者の証言は嘘か? 御自身のブログ3月31日のコメント欄に (前文略)でも、目撃者はそういう「自然な目撃談」を避けています。(改行)2回公判の際も、「わざと、荷物の有無を曖昧にして、ヘンだなあ」とは思っていました。でも今回も同様なら、これはもう「裁判対策=都合の悪い事実を、わざと隠している」のでしょう。(中略) 2回の時、荷物の記憶をあいまいに証言し、今回の証人もあいまいにしました。つまり犯人が「持っていたか、いなかったか」が、どちらかに確定するとマヅイと言うことでしょう。 とある。 mojo さんは現在、目撃者は事実を話しているのではなく、自分に都合の良いことを話している嘘の証言だと主張している。Mojoさんの判断に文句は無いが私の経験を述べたい。友人の顔は思い出せるが、目だけとか鼻の形だと思い出せないという事はよくある。2年前に友人に会った時、顔の表情やセリフは覚えているのにスーツの色ネクタイの色は何一つ覚えてないという経験もある(ちなみにmojoさんの理屈だと私の話しは信用できないとなる)。私の記憶力が悪いのもあるが、人の記憶はパソコンと違い断片的で、強弱ができるのは事実でその事は植草氏の証言にもあてはまるだろう。 さて、証言は嘘だとする。動機は何か?荻窪の会社から金沢文庫の自宅へ帰る途中、偶然痴漢事件に出くわした人がなぜ警察に自ら出頭し嘘を言うのか。目撃者は「さわっていたところに、スカートのしわというか、くぼみのようなものがあったからです」と明確に痴漢行為を告発している。自らの意思で証言したといえる目撃者にも立場、プライドがある訳だから嘘と批難する以上mojoさんも嘘をついた動機を挙げるか、嘘だという根拠をもう何点か挙げる必要があると思う。 嘘と判断するのはいいが、記憶が曖昧だからという理由だけでは不足ではないか。目撃者は植草氏同様、民間人であって検察ではない。 その③ 事件を観る角度 ブログに対する私の感想だが、mojoさんは検察の悪口を書きたいけれど被害者・目撃者の悪口はあまり語りたくないのでは?検察の捏造・誘導で誤解が広がったというのが理想のストーリーであり、検察はメンツのかたまりであり、(目撃者の証言は目撃者の言い分であって)検察自身が具体性の有る根拠をあげない限り認めないし、植草VS検察の構図だから体制側に軍配をやすやす挙げるのは意味がないし、マスコミの報道やネットを検証したり証言を比較したりすれば必ず検察の変な意図が出てくるはずだし、証言した人たちも悪人ではないが検察に誘導されたか協力したかに決まっている、そんな風に考えているのでは? しかし女性は植草氏に対し怒りを表し植草氏本人を訴えていて、植草氏は否定している。和解すれば裁判に成らないが二人の主張は真っ向から対立している。 目撃者は現場で事情聴取を受けたので無く、自ら出頭して証言をしたのだから告発といってよく植草氏と対立している。無罪判決が出れば植草氏が女性を相手取り民事訴訟を起こしても不思議は無いし、同様の事が女性側にも言える(痴漢の民事訴訟は現実にある)。 つまり刑事訴訟だから検察が立証できるかどうかの話しなんだけれど、個人の対立という側面も大きい。植草氏と会話した警察官の証言を鵜呑みにする必要は無いが、植草氏の証言を信用するか被害者・目撃者の供述・証言を信用するかそれとも誤解かそれが裁判のテーマに成ってくる。ここが被害届の出てない鹿児島県志布志市事件や手鏡事件と根本的に違う。 その④ おわりに 植草氏には申し訳ないが私はこの事件の中傷はあまり気にならない。批判精神は誰でも持っているもので、自然悪口のひとつも言ってみたいというのが人情だ。好ましくは無いが度を過ぎなければいいと思う。もちろんマスメディアは別だが。しかしブログに情熱を注ぎながら、論理的でありながら、変な方向に進んでいるのをみると気になる。事件・裁判が歪められる思いがする。万引きをして逮捕された警察官もいれば殉職して勲章を授与された警察官もいる。病んだ老人に自白を強要する検察官もいれば大物政治家を起訴する検察官もいる。Yuutama氏は「平気で嘘をつく警官の証言を判断材料に審理されてはたまらないと思います。」(2月17日)と発言しているが、人を信じるあまり訳も無く人を疑うようでは社会は歪んでしまう。 応援を薦めるつもりは無いが、応援するのなら脱線せずに進んで欲しい。長い文章は説教臭くて申し訳ないがソコラヘンが私の本音だと理解して欲しい。 以 上
by mojo_on
| 2007-03-05 01:55
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